先週の土曜日ついに「三度目の殺人」がテレビでロードショーされたので見ました。
さすが是枝監督、めちゃくちゃ考えさせられる作品でした。
司法制度のあり方とか細かい人間心理とか本当に繊細に表現されていて、サスペンスなんですが、すごくもやもやするような後味がたまらなかったです。
そこで今回は三度目の殺人に関しての考察をしようと思ったのですが、
ぶっちゃけ三度目の殺人の考察記事ってたくさんあるのですよね。
わざわざ丁寧に一個一個考察するのもあれなので、一番に気になった点について自分なりの考察を書きたいと思います。
三隅高司(演-役所広司)は善人?悪人?
どれだけ考察しても結局、複数の解釈が成り立ってしまいます。
なので、三隅高司が本当に殺したのか否か、なぜ最後に自ら殺人を否定したのか、全ては謎のままです。
綿密な脚本、そして役所広司さんの演技力も合間って三隅高司は善人なのか、悪人なのか、正常なのか、サイコパスなのか、結局全く分かりません。
じゃあなんでそんな結末を用意したのか?
作品としてはスッキリさせた方が視聴者も気持ちいがいいし、正直一般受けもいいような気がします。
それなのにわざわざこんな結末にした理由。
真実は是枝監督にしか分かりませんが、これを視聴者が考察することに僕は意味があると思っています。
僕は、
「信じることの難しさ、大切さを訴えたかったから」
だと思いました。
作中では弁護士、検察、裁判官という司法によって動く人々のやりとりが非常にリアルに描かれています。
そしてやはり、彼らも所詮は人間、自らの保身や利益ばかりを気にして、訴訟経済や訴訟戦略の話ばかり。
結局、三隅高司を人として信じようとする人など彼らの中には1人もいませんでした。
劇中では広瀬すず演じる山中咲江が福山雅治演じる三隅の弁護士重盛朋章に対して「ここでは誰が誰を裁くの?」という発言をしています。
このことからも、利益優先の現在の司法制度が本当に人を裁くものとして正当なものなのか?
そして、人を信じることをやめた人たちの中で人が裁かれることに対しての違和感を痛烈に訴えかけているように考えられます。
結局、最終的に視聴者までもが三隅高司を心からは信じられず、本当の目的や動機も全て謎のままな訳です。
是枝監督は、あえて真実を隠すことで視聴者に「信じることの重さ」を伝えたかったのではないでしょうか?
司法制度への批判もおそらくこの作品の軸の一つでしょう。
しかし、僕は是枝監督が作品を一番伝えたかったのはこれじゃないかと思いました。
人を信じること、これがどれだけ難しいことか。そしてどれだけ尊いか。
この作品を通して本当に深く感じることができました。